マダム・ニッチモの肖像。
顔は限りなく日本人っぽいのだが、中国南部山岳地方にすむ
少数民族”ヘ族”の血をひく立派な外人である。
ネパールとは違うのよ、一緒にしないでと日々語っている。
小さい頃からラクダを仕込み、ラクダかきをマスターさせる。
それによって15歳のとき東シナ海をラクダで渡り、壱岐に
到着する。そこでニッチモ教の布教活動のために来日していた
フランス人むっしゅ・ニッチモと運命的な出会い。
ここから彼女のマダム・ニッチモとしての人生が始まる。
この肖像での衣装は、ニッチモ教のハレの日用。イカを神とし、
なるべくイカに近づくため、毎日酢を飲んで体を柔らかくしている。
しかし山育ちのため、本物のイカを見たことはまだ無い。
むっしゅ・ニッチモは、さらなる伝道のためにガラパゴス島へと
旅立ったが、マダムは日本での”炎のイカイカ”作成のため
単身佐渡島に残る。マダムが手に持つ炎のイカイカは、まだプロト
タイプのため売れないが、イカイカ保存壷は100万ルーブルなら
譲ってもいいと言っている(送料負担お願いします)
マダム・ニッチモのお言葉:
「コレはもんごうイカ、やりイカなんかじゃありません。そして
この頭巾はイカの頭、決してカメの頭ではありませんのよ」
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